私がポーランドに行った理由、それはアウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れるためでした。私自身、学生時代に歴史を勉強していたわけじゃないし、勿論全ての事柄を理解出来ているわけではありません。そして非常にセンシティブな問題なので、こちらにポストするべきか、控えるべきか迷いました。しかし公式ガイドの中谷さんの「涙するより、考えて欲しい。」というお言葉に勝手に責務を感じ、ついつい心の余裕をなくしがちな現在だからこそ、今一度考えることと向き合う時間を持ちたいと思いました。
みなさんもご存知だとは思いますが、アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所は、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツ軍によって約130万人の人が無差別的に虐殺(ホロコースト)を受けた場所です。私たちも日常から''私は日本人''と人種に属させることでオリジナリティを確立している部分がありますが、これら人種の境は医学的根拠のないものであり、当時虐殺の主な対象であった"ユダヤ人"もナチスが勝手に定めたものでした。"ステキな町アウシュビッツ(実際はポーランドのオシフィエンチム= Oświęcimの地名をドイツ人が読んでアウシュビッツと呼ばれるようになった)"への引っ越しを誘発され、もう自分の故郷には戻らないと、お気に入りの服と靴を身につけ、鞄いっぱいに思い出を詰めて、列車に乗り込んだ"ユダヤ人"。しかし、数時間で到着するはずの"ステキな町アウシュビッツ"は数日経っても姿を見せることはなく、食も水も光も与えられず、やっと辿り着いた頃には既に息絶える者も。そんな不安をかき消すよう、入り口では一流のオーケストラが華々しく収容者を出迎えた。生死の選別を受け、ガス室へ送られた女性や子供は直ちに処分され、労働の道にコマを進めた彼らは、起きても起きても冷めない悪夢の中で、1945年4月30日ヒトラー自殺まで過酷な労働生活を強いられました。
多くの人にこの事実と向き合って欲しいと言う政府の考えから、入場無料、また観光を強調する写真以外撮影可能。教科書に載っていたアウシュビッツに向かう列車の線路、収容施設、ガス室、見せしめの銃殺台や首吊り台、また収容者の遺品を並べた展示室が並ぶ中、ただ唯一写真撮影が禁止されていたのが人毛の部屋。セーターやニット帽などを作るために刈られた収容者の髪の毛が、連なる山のようにただひたすらに積まれていた悍ましさは忘れることが出来ません。霊感があるわけでもない私が部屋に入った瞬間、誰かの気配や視線を感じてしまうような、彼らの声が風に乗って私に届いてしまいそうな空気感。事実と向き合うべきだと思いながらも、足早にその場を去らずにはいられませんでした。このように心痛むシーンに幾度となく直面させられましたが、労働の一つとして行われていた人体実験の展示室では足がすくみました。麻酔なしの骨や筋肉、また神経の移植実験、低温実験、海水実験、他にもまだまだ沢山、目を背けたくなるような写真、耳を塞ぎたくなるような話が続きました。ただこの荒ぶれた人体実験のおかけで、現在の医療が100年ほど早く進歩しているというのは皮肉な話です。
そんな展示室を抜け、外に出ると、広大な敷地に広がる青い空と豊かな緑。こんなにも悲しい歴史を持つ土地がこんなにも美しい。ふと、生きてるって感じさせられるんです。そして、生きてるって何にも変えがたい幸せだなと。誰かの幸せは時に他の誰かの不幸であることが現実だけど、それは承知の上で、それでも、誰かの幸せは他の誰かの幸せで、誰かの不幸は他の誰かの不幸であってほしい、と願うのです。
日本人は平和ボケしてるって言われることが多いけど、"平和神話"だと思ってると仰っていた中谷さん。『「今ある平和はずっと続いていくんだ」とか「平和が当たり前、崩れることはないんだ」っていう神話にしがみつこうとしていて、解決しなきゃいけない問題もないふりをして、色んなバランスがぐらぐらしてるのに、神話的に平和だと思い込もうとする。問題があるのにないふりをする。その意識が日本に蔓延しているような気がしてならない。だからこそ政治家や外交官に任せきりにしないで、ちょっとずつでも一人一人が史実を学び、議論をして僕たちの世代を築いていけないか。』と。
お恥ずかしいことに私も人任せに考えていた1人だったと思う。でもここを訪れたこと、そして不謹慎かもしれないけれど、先日ひとの最後に立ち会ってしまったことで、いい加減目を覚まさないといけないと強く実感した。ただ過去の歴史を学んで嘆くのではなく、そこから何を学び、どう現代を築いていくか。未来を展望するか。私1人が明日世界を変えることは出来なくても、大勢が自身の考えと思いやりを持って、議論を続けて生きていけば世界を変えることも可能だと信じています。
皆さんの今日が素敵なものであるよう願っています。
江上万絢
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